日向灘(12)水切り

水切り

千尋から、テングサ狩りに漁協が動き出したと聞いた時は、嗚呼、やっぱり不安的中かと、つい独り言を呟いてしまった。

トビウオにはテングサの赤い色が天敵に見えるとは私の仮説、いや、単なる思いつきに過ぎない。

普段でも高い日南の夏の気圧が、一層重たく感じた。

トビウオ不漁対策チームに関わる有識者たちは、ひと先ず静観の構えのようだった。しかし、いくら漁協に発言力を持つ千尋ではあっても彼女の単独行動を良く思う者はいないだろう。

彼らにも思惑はあるはずだ。日向灘の海底隆起説は、地震研究家をはじめ、世間の感心とマスコミの関心を引き寄せるには十分過ぎるほどの魅力がある。

しかし、試算すると調査にかかる費用は莫大で、漁協が全面的に負担するには余りにもリスクが高い。

以前から、千尋はこうした私の思いつきや直感に過敏に反応しては、すぐに行動に移すことがよくあった。私はそれが満更嫌ではなかった。そうやって、千尋が私を頼りにしてくれることが、何より嬉しかった。

高2の冬、久しぶりに千尋と席が隣同士になったことがある。中3の春の出逢いの日以来のことだ。

その頃の私は、タロット占いに夢中になっていた。クラスメイトにとって、私は既に異端児だった。キモいとかヲタとか、どんなに言われても私は私でしかない。たとえエンマ大王にNGを授かったとしても、それに従うつもりもなかった。

昔からこの占いに人気が絶えない1番の理由は、カードに描かれた神秘的な図柄や1枚1枚に込められた意味の多様性のみならず、占う側の直感に委ねられる要素が高いからではないだろうか。

その分、他人から直感を預かる者としては、それなりの揺るぎない自信と、万が一間違った時には腹を裂くくらいの覚悟が必要となる。

横にいた千尋が興味深げに覗き込んでいたが、そのうち案の上、私も占って?とせがんできた。

まだ初心者なのだから、自分を占って検証するだけに止めるべきではあったが、私は確たる自身もないまま千尋を占うことに決め、比較的簡単なシンプルクロススプレッドという、2枚のカードをクロスする方法を試してみることにした。

しかし困ったことに、最初に引いたのが正位置の死神だった。解説書には、停止終末破滅離散終局死の予兆とある。

Deathって何?あたし、もしかして

違うよ。ほら、ここには停止ってある。それが何なのかを、次の1枚のカードが示すわけ

解説書の最後に記された死の予兆を親指で隠しながら、次のカードに期待した。

ところが、次に引いたカードは更に悪かった。大アルカナの恋人Loversが逆位置になっていた。つまりDeathとの組み合わせを解説書に照合させてみると、失恋になる。

ねえねえ、どんげ?

千尋、最近サヤとはどんげな?

ううん、なんもなかと、首を振る。

なら問題なか。恋愛はひとまず小休止だと思えばいい。占いやかい、へとん知れん

で、サキはどう思う?

心配せんでよか。千尋は将来サヤと結婚するに決まっちょるけん

それから1年が過ぎ、卒業も間近となった。サヤと千尋は同じ大学に通うことになり、私だけが別の道を進むことになった。大阪岸和田市の某材木店に就職が決まっていた。

いつものように、放課後に校舎の脇の河原で、私とサヤと千尋の3人が、水切り遊びをしている時だった。

タロット占いで失恋のカードを引いた時、サキ、あたしとサヤが将来結婚するって言ったよね

あ、思い出した!と、サヤが続けた。そのすぐ後、千尋が俺の教室に飛んできてと、サヤは私に振り向いて、サキ、千尋何て言ったと思う?

え?

今すぐ結婚しよ?!だって。俺、たまがって、椅子からひっこけたばい

照れた千尋が足元の平べったい石を1つ掴み、川面すれすれに投げ込んだ。その石が、1回だけピーンと跳ねて、そのまま川底へ沈んだ。

その時私は生涯青春なんてあり得ないと確信した。青春は、儚いから青春なのだ。

そうやって、私の中の、1回きりの、小さな青春は幕を閉じた。

サヤが暖簾を払って厨房から飛んできた。

待ってたぞ、サキ。阿蘇のあか牛のブロックを仕入れた。フレンチでもイタリアンでもいい、何か洋風の1品を8人前頼む

阿蘇牛か。前菜?それとも、メイン?

前菜でいい。メインは、いま俺がアクアパッツアを仕込んでいるところだ

ほう、テーマは地中海の風ってとこか。ジュディオングの、何て言ったっけなあの歌、ウィンディスブローイン、フロムディ〜エイ〜ジャ〜

いったい、何のことだ

団体客の中に、薄茶色い目をした、地中海風の女子高生がいるだろ

何だその、地中海風っちゅうのは。あ、ワシらの母校の制服を着た、もぞらしい可愛い娘か。モデルさんらしいが、わいの知り合いなんか?

遠い昔のね。後で紹介する。アクアパッツァはいい選択だな。で、賄いは?

賄いか、、忘れてた

じゃあ、ついでに地中海風パスタでも作ってやるよ。しおりが久に俺のパスタが食いたいんだって。阿蘇牛、少し貰うけど、ディチェコのリングイーネとホールトマト、あと、レモンとバジルとパルメザンチーズの用意だけ頼む

よしわかった。才全がもうすぐ帰るけん、7人前な

暖簾の向こうに消えたサヤと入れ替わりに、今度は倫子が包丁と南瓜を両手に持ったままで飛んでくる。

チロが、電話ちょうだいって

千洋に何かあったんか?

曲のことらしかよ。変えたいところがあるけんって

またか、夕べさんざん話したところやかい。いま忙しかけん、後でかけるゆうといて

一旦、2階に荷物を置きに上がった。すぐにはあか牛のブロックを使った前菜メニューが思い浮かばず、シャワーでも浴びながらゆっくり考えようと、タンスから着替えを持ち出して1階に降りかけた。

だが、この部屋に異質な雰囲気を漂わせていた、あるモノが視界に入って立ち止まる。

ノーマンの、あのギターだ。所有者を訊き出すべく、再び部屋に戻り、ベッドに腰を降ろしながら千洋に電話をかける。

サキ?いま、どこ?

俺の、いや、チロの部屋だ。姉ちゃんから聞いた。変更したいって、まだあのエンディングがしっくりこないのか?

ううん。明日、ブチさんが間奏に使うギターのことなんだけど。レスポールじゃなくて、そこに置いてあるノーマンのアコギじゃだめかなぁ

な〜んだそんなことか。どうせ言い出したら聞く耳持たないお前のことだ。ブチには俺から何とか説得する

ありがとう

チロ、このギター、男の汗の匂いがする。誰のだ?

え?と、数瞬マを置いてから、黒木くん

黒木って、あの黒木か?行方不明の

うん、と一瞬、携帯の向こうで千洋の声が詰まる。

僅かな勘が的中した。私は何度か、千洋が黒木を窺う時にみせる潤むような目の輝きを目撃していた。しかし、千洋と黒木の間にどんなことが起こっていたのかまでは、千洋からは全く知らされてはいない。

しかし千洋にとって、黒木という存在が今でも息づいていることだけは感じとれた。

黒木は今、どこにいるんだ?チロ、お前知ってるのか?

返事はなかった。暫くして、電話が途切れた。

連続夢物語千年の奏より

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